松坂大輔とは? {{半保護S}}
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{{Infobox baseball player
|選手名 = 松坂 大輔
|英語表記 =
|所属球団 = ボストン・レッドソックス
|背番号 = 18
|選手写真ファイル名 = Daisuke Matsuzaka.jpg
|写真サイズ = 250
|写真のコメント =
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = 東京都?江東区? 出生地:青森県?青森市?[{{Cite web|date=2007-03-30|url=http://gendai.net/?m=view&g=sports&c=040&no=25138|title=松坂大輔物語 120億円を生んだ遺伝子|publisher=ゲンダイネット?|accessdate=7月20日|accessyear=2008年}}]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1980|9|13}}
|没年月日 =
|身長 = 182
|体重 = 85
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = 投手?
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1998}}
|ドラフト順位 = ドラフト1位
|初出場 = NPB / 1999年?4月7日? MLB / 2007年?4月5日?
|最終出場 =
|年俸 = 833万3333ドルhttp://www.sportsline.com/mlb/players/playerpage/1145060(2008年)
|経歴 =
- 横浜高等学校?
- 西武ライオンズ?(1999 - 2006)
- ボストン・レッドソックス?(2007 - )
}}
{{MedalTop}}
{{MedalSport|男子 野球?}}
{{MedalBronze|アテネオリンピック (2004年)?|野球}}
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松坂 大輔(まつざか だいすけ、1980年?9月13日? - )は、ボストン・レッドソックス?に所属するプロ野球選手?(投手?)。背番号は18。
概要
父は北海道?稚内市?出身で、母は青森県?出身。弟・松坂恭平?は愛媛マンダリンパイレーツ?に所属していた元野球選手。妻は元日本テレビ?アナウンサー?の柴田倫世?。夫婦の間には2005年?12月に誕生した長女と、2008年?3月に誕生した長男がいる。「大輔」という名前は、1980年に大旋風を巻き起こした甲子園のアイドル、早稲田実業?の荒木大輔?のように甲子園で活躍できるようにという親の願いからつけられたものであり、その親の願い以上の結果を甲子園、プロで残している。
愛称は「マツポン」「マツ」「ダイスケ」、アメリカ?メディアでは「Dice-K」、「D-Mat」という愛称が使われている。ボストンでは「Dice-K」が好まれる。本人は「D-Mat」をサインに使うこともある。
代理人はスコット・ボラス?。
「目標が、その日その日を支配する」という句を座右の銘にしているが、これは横浜高校創立者黒土四郎?が愛した詩の一行である(黒土四郎の先輩後藤静香?が創作した『第一歩』という詩)。
来歴・人物
プロ入り前
- 東京都?江戸川区?のリトルリーグ?出身。高校時代は、「サボリ?のマツ」と言われるほどの練習嫌いであったが
[参考文献:江夏豊?『松坂大輔へ 江夏豊からのメッセージ』中央公論新社?、2000年]、2年次の夏の甲子園県予選での対横浜商業高校?戦で、自身の暴投(実際は小山良男?のミス)によるサヨナラ負け以来奮起し、MAX152km/hの豪速球・切れ味鋭いスライダー?、カーブ?、チェンジアップ?を武器に超高校級の投手として「平成の怪物?」と称される。1998年?の第70回選抜高等学校野球大会?ではすでにずば抜けた完成度で他校を寄せ付けず優勝。最後の夏となった第80回全国高等学校野球選手権大会?では、準々決勝で上重聡?を擁するPL学園?を相手に延長17回という長丁場の試合?に250球を投げ完投勝利。翌日の準決勝・明徳義塾?戦でも1イニングに登板し、逆転劇?を呼び込む。決勝戦では、嶋清一?以来59年ぶり史上2人目となる決勝の京都成章?戦ノーヒットノーラン?という快挙。圧倒的な活躍で春・夏連覇を達成した。また、新チーム結成後、1997年?秋季県大会ブロック予選から翌年国体?決勝まで、公式戦44連勝を達成した。
- 1998年度新人選手選択会議?では、指名順位1位で西武?、横浜?、日本ハム?の3球団が競合の末西武が交渉権を獲得(ハズレ1位として横浜は古木克明?、日本ハムは實松一成?を指名)。当初ドラフト直後の会見では、「自分の意中の球団は横浜ベイスターズでした」と語っていたが、西武へ入団した。
西武時代
- 1999年?
- 初先発となった4月7日?の対日本ハム?戦では155km/hの直球を披露、8回2失点の好投で初勝利を記録し、まさに鮮烈なデビューを飾った。その試合での片岡篤史?の豪快な空振りはプロでも変わらぬ“怪物”ぶりを示す映像資料として現在でもよく放送される。同じ試合で、フランクリン?への投球が胸元の際どいコースに行き、フランクリンが怒りをあらわに詰め寄ったが、それに動じた様子を見せないなど、強心臓ぶりも見せた。
- 4月21日?の対ロッテ?戦では黒木知宏?と投げ合い、0-2で惜敗。この試合後に「リベンジします」と宣言した松坂は、4月27日?の対ロッテ戦で再び黒木と投げ合い、1-0でプロ初完封を記録し、見事にリベンジを果たした。このことから、松坂の「リベンジ?」は、プロ同期で同じく鮮烈なデビューを果たした上原浩治?(巨人?)の「雑草魂」とともに同年の新語・流行語大賞?の年間大賞に選ばれている。
- 5月16日?の対オリックス?戦では、すでにプロ野球界において孤高の存在であったイチロー?との初対決が話題となったが、イチローを3打席連続三振(1四球)とほぼ完璧に抑えた。試合後のヒーローインタビューでは「自信から確信に変わった」という名言も残している。
- 7月24日?に行われたオールスター?第1戦に先発して3イニングを投げ、高卒新人としては史上最多となる5奪三振を記録。3回表に味方の失策によって2点を失い、自責点0ながら敗戦投手となったものの、この試合の優秀選手賞に輝いた。オールスター新人賞も受賞した。
- シドニー五輪?の野球アジア予選に参加し、9月15日?の台湾戦に先発。古田敦也?(ヤクルト?)とバッテリーを組み、1失点完投勝利を挙げて日本の五輪出場に大きく貢献した。
- 1年目は結局16勝を挙げて最多勝?。高卒新人としては史上初となるベストナイン?、ゴールデングラブ賞?の受賞を果たし、高卒新人の投手としては堀内恒夫?(巨人?)以来、33年ぶりとなる新人王?に輝くなど、その実力を見せ付けた。
- 2000年?
- 津野浩?(日本ハム?)以来、15年ぶりに10代での開幕投手?を務めた。
- プロアマ混成のシドニー五輪の野球日本代表?に選ばれ、まず9月17日?のアメリカ戦に先発。10回2失点の好投を披露するも、チームは延長13回サヨナラ負け。中5日で先発した9月23日?の韓国戦では、初回から4点を失うものの、その後は立ち直り、161球の熱投で9回5失点にまとめるも、またしてもチームは延長の末に敗れた。中3日で再び韓国と対戦した9月27日?の3位決定戦?では、具臺晟?と投げ合い、0-0の投手戦が続いたが、8回裏に李承?(現巨人?)に痛恨のタイムリー二塁打を打たれるなどし、3失点完投負け。好投も報われず、日本は五輪野球で初めてメダルを逃す結果となった。
- シドニーから帰国後、2勝を上積みして14勝とし、小野晋吾?(ロッテ?)との最多勝争いを制して2年連続の最多勝?に輝いたが、不祥事が発覚し、オフに世間からバッシングを浴びることになる(エピソード?参照)。
- 2001年?
- 15勝を挙げ、最多勝?を獲得したが、高卒の新人年から3年連続での獲得は史上初である。
- 沢村賞?を受賞したが、15敗と負け数も多かったため、選考委員からは反対意見も出ていた。結局、両リーグで唯一の15勝投手であることや、240回1/3という圧倒的な投球回数?などが高く評価されての選出となったが、2年連続での「該当者なし」という事態は避けたいという思いも選考委員にはあったと思われる。当時の藤田元司?委員長は、「松坂の150キロを越える豪速球は沢村?さんをほうふつさせる。将来の松坂に対する期待を含めて選んだ」とコメントしている。
- 2002年?
- 開幕6連勝という順調なスタートを切ったが、5月13日?の近鉄?戦で右ひじを痛め、何度か復帰するものの、本来の投球は戻らずに長期離脱。日本シリーズ?でも巨人?打線に打ち込まれて2敗するという悔しいシーズンとなった。
- 2003年?
- 前年の怪我から奮起し、自己最多タイ(当時)の16勝を挙げ、自身初めて最優秀防御率?のタイトルも獲得した。
- アテネ五輪?の野球アジア予選では、11月6日?の台湾戦に先発し、7回無失点の好投で勝利を収め、五輪出場の条件である2位以内をほぼ決定づけた。大会の最優秀投手にも選ばれた。
- 2004年?
- 7月10日?のオールスター?第1戦で2番手として登板し、2イニングを無安打無失点で4奪三振という好投を披露し、自己最速タイとなる156km/hも記録した。本塁打?を2本以上打った選手がいなかったこともあり、松坂がこの試合のMVP?に輝いた。
- アテネ五輪の野球日本代表?に選ばれ、8月17日?(現地時間)のキューバ戦に先発。4回にユリエスキー・グリエル?の打球を右腕に受けるアクシデントに見舞われるも、8回まで無失点に抑える力投を披露し、完封も期待された。結局、9回に3点を失ったものの、石井弘寿?(ヤクルト?)のリリーフ?で逃げ切り、松坂は五輪での初勝利を手にした。中5日で先発した8月24日?の準決勝・オーストラリア戦では、8回途中まで1失点の好投も報われず、0-1で惜敗して金メダル?の夢はついえた。チームは翌日、カナダとの3位決定戦?に勝利したため、松坂は銅メダリストとなった。
- レギュラーシーズンは2位に終わったものの、この年から導入されたプレーオフ?の第1ステージで3位の日本ハム?と対戦。第1戦では、8回途中7失点と打ち込まれたものの、打線の援護で勝利投手?となった。ダイエー?と争った第2ステージでは第2戦に先発し、完封ペースだったが、打線の大量援護もあり、6回無失点で余力を残して降板。これが功を奏し、最終の第5戦に中3日で先発が可能となって、6回1失点の力投を見せた。勝利投手にはなれなかったものの、チームは延長10回の末に4-3で勝利し、リーグ優勝を果たした。
- 中日?との日本シリーズ?では、まず第2戦?に先発。立浪和義?に同点3ラン本塁打を打たれるなどし、6回1/3を8失点で敗戦投手?。2勝3敗と王手をかけられた第6戦?では、苦しみながらも8回2失点でしのぎ、勝利投手?となって逆王手をかけた。翌日の第7戦?には中継ぎで3番手として登板し、日本一に貢献した。この直後に柴田倫世?との結婚を発表した。
- 11月11日?の日米野球?第6戦に先発し、1失点完投勝利。アメリカ選抜チーム相手の完投勝利は、荒巻淳?(毎日?)以来、51年ぶり史上2人目の記録となった。
- 2005年?
- 高校時代には甲子園球場?では15連勝、被本塁打0という記録を持っていたが、5月18日?のセ・パ交流戦?・対阪神?戦でプロ野球選手として初登板した際、桧山進次郎?に先制2ランを浴び、試合も2-3で敗北。甲子園での被本塁打0という記録は途絶え、連勝記録も15で止まった。
- 年間を通じての防御率?が2.30であったにもかかわらず、14勝13敗と負け数もかなり多かった。打線の援護が少なく、野手の失策も多かったため、松坂が6月27日?の日本ハム?との試合後に「球際に弱い選手が多い。僕も含めてですが、一つ一つのプレーが軽すぎる。若い選手が多いんだから、もっとガムシャラにやってほしい」と野手批判ともとれる発言をした。後日、野手ミーティングに参加してお詫びしたという。評論家からは「打線の援護がないのは、投球のリズムが悪いからだ」と度々指摘されており、本人も自覚して改善を目指し、翌年にその効果が表れたようである。
- 2006年?

- 第1回ワールド・ベースボール・クラシック?(WBC)に日本代表として出場。3月4日?の台湾?戦では4回1失点、3月14日?のメキシコ?戦では5回無失点、そして3月20日?のキューバ?との決勝戦では、試合前に首を痛めながらも気合の投球で4回1失点に抑え、先発したすべての試合で勝利投手?になった
[WBCには球数制限があったため、先発投手の投球回数が5回未満でも勝利投手になることができた。]。結果的に、大会最多となる3勝、防御率1.38という成績が高く評価され、大会の最優秀選手?(MVP)に選ばれた。
- 6月9日?のセ・パ交流戦?・対阪神?戦で1失点完投勝利を収め、高校時代に大活躍した甲子園?でのプロ初勝利を記録し、自ら本塁打も打った(バッティング?で後述)。
- 6月16日?のセ・パ交流戦・対横浜?戦で、江川卓?(所要193試合)を抜きドラフト?制度導入後最速(191試合)の100勝を達成する(その後、同年8月25日?に上原浩治?(巨人?)が同じ191試合での100勝を対阪神?戦にて達成し、松坂の記録は最速タイとなった)。
- 10月7日?、ソフトバンク?とのプレーオフ?第1ステージ初戦に先発。厳しい内角攻めで4死球を与えたが、斉藤和巳?との熾烈な投げ合いを制し1-0で完封勝利を挙げる。チームはその後2連敗し第1ステージで敗退したため、この試合が松坂の渡米前の最後の公式戦となった。
- ポスティングシステム?を利用してメジャーリーグ?に移籍したいという松坂の要望を西武?が受け入れ、同制度の利用を11月1日?に正式に表明。11月15日?にレッドソックス?が5111万1111ドル11セント(約60億円)で独占交渉権を獲得したことが発表され、12月15日?、レッドソックスとの契約が正式に発表された。AP通信?によると、契約内容は6年総額5200万ドル(約61億円)
[契約金が200万ドル、年俸は2007年が600万ドル、2008〜2010年が各800万ドル、2011〜2012年が各1000万ドル、と報じられている。]。1998年の夏の甲子園?よりレッドソックスは松坂に注目しており、同球団のスカウトが決勝戦の試合を観戦していた。レッドソックスファンであるクリストファー・ヒル?国務次官補は、六カ国協議?が行われる北京への出発前に記者会見で「今日のマツザカの交渉はどうなった?」などと松坂のことを気にかけていた。
レッドソックス時代
{{現在進行|section=1}}
(日付は全て現地時間)
- 2007年?
- 4月5日?のロイヤルズ?戦でメジャーリーグの公式戦初先発。気温2度という厳しい寒さの中で、最速95マイル(約153キロ)の速球と多彩な変化球を武器に、7回までをソロホームランによる1失点のみに抑え、10三振を奪う好投で初勝利を挙げた。初先発初勝利は日本人選手では4人目の記録となった。
- 5月14日?の対タイガース?戦で1失点完投、5月19日?の対ブレーブス?戦では8回3失点の好投で連勝し、この週のア・リーグ?週間MVP?を獲得した。
- 8月4日?の対マリナーズ?戦において、7回2失点の好投で13勝目(8敗)を挙げ、日本人メジャーリーガー?のパイオニアと言われた野茂英雄?の新人時代(1995年?、当時ドジャース?)の勝ち星に並んだ。
- 9月3日?の対ブルージェイズ?戦では、5回まで1失点だったが、6回に突如乱れて計7失点しながらも打線の援護で14勝目(11敗)を挙げ、日本の新人投手の勝ち星としては、2002年?の石井一久?(当時ドジャース?)に並び、タイ記録となった。
- レギュラーシーズン最後の登板となった9月28日?の対ツインズ?戦では、8回2失点の好投で日本の新人投手としては史上最多となる15勝目(12敗)を挙げた。この勝利でマジック?を1とし、その後、2位のヤンキース?がオリオールズ?に敗れたため、レッドソックス?の地区優勝が決まった。
- プレーオフ?では10月5日?、ア・リーグ?のディビジョンシリーズ?でエンゼルス?との第2戦に初登板し、4回2/3を3失点で勝敗はつかなかった。インディアンス?とのリーグチャンピオンシップシリーズ?では、1勝1敗で迎えた10月15日?の第3戦に登板したが、4回2/3を4失点で降板し、敗戦投手?となった。3連敗で王手をかけられたレッドソックス?だが、その後2連勝で逆王手をかけ、10月21日?の最終戦で松坂が再び登板。新人投手がリーグチャンピオンシップ最終戦に先発するのは、メジャーリーグ史上初である。その最終戦では5回を2失点、後を託された岡島秀樹?らのリレーでリードを守り抜き、打線爆発もあって松坂は日本人メジャーリーガー初のプレーオフ勝利投手?となった。
- 西武?時代の先輩である松井稼頭央?の所属するロッキーズ?とのワールドシリーズ?では、2勝0敗で迎えた10月27日?の第3戦で登板。自らのタイムリーヒットなどもあり(バッティング?で後述)、6点の援護を得て、5回1/3を2失点とリードを守って降板。チームは10-5で勝利し、松坂は日本人メジャーリーガー初のワールドシリーズ勝利投手?となった。レッドソックス?は翌日の第4戦にも勝利してワールドシリーズ優勝を果たし、松坂は渡米1年目でチャンピオンリング?を手にした。
- プレーオフやワールドシリーズでは好印象を残したものの、レギュラーシーズンはまちまちの成績で、本人も制覇後に不満のコメントをしている。
- 1試合の平均球数は108.8球で、これはメジャーリーグでトップとなる数字だった。
年度別投手成績
| 年度? |
球団 |
背<br />番<br />号? |
登<br />板? |
完<br />投? |
完<br />封? |
無<br />四<br />球? |
勝<br />利? |
敗<br />戦? |
セ<br /><br />ブ? |
勝<br />率? |
打<br />者? |
投<br />球<br />回? |
被<br />安<br />打? |
被<br />本<br />塁<br />打? |
与<br />四<br />球? |
与<br />死<br />球? |
奪<br />三<br />振? |
暴<br />投? |
ボ<br /><br />ク? |
失<br />点? |
自<br />責<br />点? |
防<br />御<br />率?
|
| 1999年? |
rowspan="8" style="text-align: center;"|西武? |
rowspan="9" style="text-align: center;"|18 |
25 |
6 |
2 |
0 |
16 |
5 |
0 |
.762 |
743 |
180.0 |
124 |
14 |
87 |
8 |
151 |
5 |
2 |
55 |
52 |
2.60
|
| 2000年? |
27 |
6 |
2 |
0 |
14 |
7 |
1 |
.667 |
727 |
167.2 |
132 |
12 |
95 |
4 |
144 |
2 |
0 |
85 |
74 |
3.97
|
| 2001年? |
33 |
12 |
2 |
1 |
15 |
15 |
0 |
.500 |
1004 |
240.1 |
184 |
27 |
117 |
8 |
214 |
9 |
1 |
104 |
96 |
3.60
|
| 2002年? |
14 |
2 |
0 |
0 |
6 |
2 |
0 |
.750 |
302 |
73.1 |
60 |
13 |
15 |
7 |
78 |
2 |
1 |
30 |
30 |
3.68
|
| 2003年? |
29 |
8 |
2 |
1 |
16 |
7 |
0 |
.696 |
801 |
194.0 |
165 |
13 |
63 |
9 |
215 |
4 |
0 |
71 |
61 |
2.83
|
| 2004年? |
23 |
10 |
5 |
0 |
10 |
6 |
0 |
.625 |
601 |
146.0 |
127 |
7 |
42 |
6 |
127 |
5 |
0 |
50 |
47 |
2.90
|
2005年?
|
|28 |
15 |
3 |
4 |
14 |
13 |
0 |
.519 |
868 |
215.0 |
172 |
13 |
49 |
10 |
226 |
9 |
0 |
63 |
55 |
2.30
|
2006年?
|
|25 |
13 |
2 |
2 |
17 |
5 |
0 |
.773 |
722 |
186.1 |
138 |
13 |
34 |
3 |
200 |
5 |
0 |
50 |
44 |
2.13
|
2007年?
|
rowspan="1" style="text-align: center;"|BOS? |
32 |
1 |
0 |
1 |
15 |
12 |
0 |
.555 |
874 |
204.2 |
191 |
25 |
80 |
13 |
201 |
5 |
0 |
100 |
100 |
4.40
|
colspan="3"|NPB成績?
|
204 |
72 |
18 |
8 |
108 |
60 |
1 |
.642 |
5768 |
1402.2 |
1102 |
112 |
502 |
55 |
1355 |
41 |
4 |
508 |
459 |
2.95
|
colspan="3"|MLB成績?
|
32 |
1 |
0 |
1 |
15 |
12 |
0 |
.555 |
874 |
204.2 |
191 |
25 |
80 |
13 |
201 |
5 |
0 |
100 |
100 |
4.40
|
|-
!colspan="3"|通算成績
|236||73||18||9||123||72||1||.631||6642||1607.1||1293||137||582||68||1556||46||4||608||559||3.13
- 2007年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル・表彰など
- 新人王?(1999年)
- 最多勝利?:3回(1999年 - 2001年)
- 最多奪三振?:4回(2000年、2001年、2003年、2005年)
- 最優秀防御率?:2回(2003年、2004年)
- 沢村賞?:1回(2001年)
- ベストナイン?:3回(1999年 - 2001年)
- ゴールデングラブ賞?:7回(1999年 - 2001年、2003年 - 2006年)
- オールスター?出場:7回(1999年 - 2001年、2004年 - 2006年)※2002年と2003年は負傷により出場辞退
バッティング
- バッティング?も上手い事で有名である。高校時代は4番を務めていた時期もあり、高校通算14本塁打を記録。打撃に悩む野手に打撃のアドバイスを送ることもあるらしい
[2003年?4月21日?の対オリックス?戦では、松坂から「チェンジアップ?を狙うと面白いんじゃないか」とアドバイスされた後藤武敏?が、具臺晟?のチェンジアップを捉えて本塁打?を打った。]。パ・リーグ?に所属する投手は打撃練習をほとんどしないが、松坂は気分転換もかねてトレーニングに取り入れているという。しかし、レッドソックス?に加入した2007年?の春季キャンプ?では、マイバットを持参したにもかかわらず、打撃練習をさせてもらえなかった。高校時代の恩師である横浜高校?の渡辺元智?監督は、松坂が打者として活躍していたら巨人?の高橋由伸?を右にしたようなバッターになると語った。
- 2000年?8月7日?のオリックス?戦では、9回2死満塁の場面で代打?として登場。栗山聡?からファールで粘った後の7球目をセンター前ヒットし、2打点を挙げた。DH?制施行以降では投手のヒットは4人目である。
- 2002年の日本シリーズ?では、当時の伊原春樹?監督は投手を8番に置き、9番打者をシーズン同様に高木浩之?とすることを示唆していたが、松坂には7番を打たせた。
- 2006年?6月9日?のセ・パ交流戦?・対阪神?戦(甲子園?)では、8回表2死3塁の場面でダーウィン・クビアン?の高めのボール球を叩いて2ラン本塁打?。DH?制施行後、パ・リーグ?の投手?としては4人目の記録となった。
- メジャーリーグでの松坂は、DH?制を採用しているア・リーグ?のレッドソックス?所属のため、2007年?6月10日?の交流戦?・対ダイヤモンドバックス?戦が初打席となったが、ランディ・ジョンソン?から2打席2三振を喫し、6月22日?のパドレス?戦でも、グレッグ・マダックス?を相手に2打席とも内野ゴロに倒れ、1年目のレギュラーシーズンは無安打に終わった。しかし、10月27日?のワールドシリーズ?第3戦・対ロッキーズ?戦では、3回表2死満塁の場面でジョシュ・フォッグ?の初球を叩き、メジャーリーグ移籍後初ヒットを放って2打点を挙げ、自らを援護した。ワールドシリーズでレッドソックスの投手が2打点を挙げたのはサイ・ヤング?、ベーブ・ルース?に続いて史上3人目のことである。
ジャイロボール論争
メジャーリーグのスカウトの間で「マツザカはジャイロボール?を投げる」という噂が立ったことがあり、本人も初めは何のことか分からなかったが、彼の持ち味の一つである140kmを超えるカットボールの抜け球のことである。ボールの回転軸がボールの進行方向と同じ向き(ネジや弾丸を想像するとわかりやすい)であり抗力が小さいので、ジャイロボールの一種とされることもあるが、ストレート?と違いバックスピン量が少ないので、重力に従い数10cm垂直に鋭く落ちる球種になる。
{{Main2|詳しくはジャイロボール?を}}
交通違反もみ消し事件
2000年9月13日?に当時交際中で現夫人の柴田倫世?の自宅マンション前にて、球団名義の車で駐車違反を犯してしまう。松坂はその年の8月に犯したスピード違反で免許?停止状態になっていたこともあり、身代わりとして西武球団の黒岩彰?広報課長(元スピードスケート?選手・カルガリーオリンピック?銅メダリスト、後の同球団代表)が出頭した。
しかしその隠蔽行為が写真週刊誌に報道されたことにより、松坂は道路交通法?違反(無免許運転、駐車違反)、黒岩ともども犯人隠避の疑いで東京地検?に書類送検?されている。その結果、略式起訴?により罰金?19万5000円の略式命令を受けた。球団職員が駐車違反の隠蔽に関与していたことから、当時の小野球団社長及び黒岩は責任を取って辞表を提出するにまでに至った。このことを重く見た球団側は松坂を無期限の自宅謹慎処分としたものの、謹慎処分は一ヶ月足らずで解除された[2000年?10月27日?付。読売新聞?。]。
エピソード
ダイスケの呪い
松坂は、アマチュア時代の高校野球の連覇などの輝かしい戦績に比べ、プロ入りしてからは優勝争いや五輪のメダル争いなど大舞台でしばしば打たれ、優勝に縁がない投手だった。加えて松坂がケガで戦列を離れた2002年?に西武?が優勝したため、ファンの間では「ダイスケの呪い」などと言われることがあった(ホークス?の松中?らとともに「逆シーズン男」と呼ばれたことも)。しかし2004年?は、五輪?準決勝では好投しながら打線の援護がなく敗れたものの、ペナントレースでは順調に白星を重ね、特に弱いとされたポストシーズン?で、ダイエー?とのプレーオフ?第2戦と第5戦に好投し、西武をリーグ優勝に導いた。直後の中日?との日本シリーズ?では、第2戦に先発し6点の援護を貰うも7回に集中打を浴びてKOされ、呪い再びかと思われたが、王手をかけられた第6戦?では、序盤リードを奪われながらも結局2点に抑えて自身初のシリーズ勝ち投手?となる。さらに翌日の第7戦?にもリリーフ?登板し、日本一に貢献。2006年のワールド・ベースボール・クラシック?でも3勝を挙げ日本の世界一に大きく貢献。この大会のMVP?に選ばれ、大舞台に弱いという「呪い」を完全に払拭した。
WBCでのエピソード
第1回ワールド・ベースボール・クラシック?(WBC)で最優秀選手?(MVP)に選ばれた松坂は、MVPのトロフィー?を受け取った直後にTVのインタビューで、「MVPとったんですけど、これ(=トロフィーの円盤状の飾り)もうとれちゃったんですね。この辺がアメリカっぽいですけど」と苦笑い。そして、「後で自分でアロンアルファ?でくっつけて直しますけど」と冗談を言ってのけた。その後、実際に販売元の東亞合成?から松坂へアロンアルファが送られた。優勝を祝うシャンパンファイト?において、甲子園で投げ合った同い年の上重聡?日本テレビアナウンサーに「今日のピッチング気合入ってましたね」と問われた松坂は、日本帰国後に開幕するパ・リーグ?のペナントレースをうっかり忘れたのか、「もうそりゃ、今日最後だから。今年最後だから」と口を滑らせた。「今年最後ではありません」と突っ込まれると、「それくらい気持ちを入れてたってことです。帰ってもしっかりやります」と自己フォローしていた。実際、この年オフのWBC祝勝コンベンションにおいて、「WBCが終わり、そのままシーズンオフになれば良かったとさえ思った」ほどの、プレッシャーと達成感があったと語っている。
剣道と速球
松坂は少年時代、剣道?も習っていた。2006年の少年野球教室で、「球を速くするにはどうすればいいですか?」という質問に「剣道をすると背筋と手首が鍛えられて良いよ」と答えており、少年時代の剣道が現在の速球の下地となっていることがわかる。
CM出演
- トヨタ? トビラを開けようキャンペーン VSC?篇 (2007年1月 - )
- アサヒビール? アサヒスーパードライ
- 松坂大輔メジャーリーグへの挑戦篇 (2007年1月22日? - )
- 松坂大輔豪速球篇 (2007年4月20日? - )
- コカ・コーラ? アクエリアス? ドライレイク篇 (2007年3月 - )
- ナイキ? (2007年4月 - )
PV?出演
- EXILE?/real world?(第二章撮り直しバージョン/ベストアルバムEXILE CATCHY BEST?のDVD?付きの方のDVDに収録)
松坂世代
松坂大輔と同学年の選手(和田毅?、新垣渚?、杉内俊哉?、村田修一?、藤川球児?、木佐貫洋?、梵英心?、森本稀哲?など)には、投手を中心にプロで活躍する逸材が揃っており、彼らは総称して『松坂世代』と呼ばれている。松坂自身、和田や新垣など同学年の選手たちとの親交が深い。詳しくは「松坂世代?」のページを参照。
脚注
関連項目
- 東京都出身の人物一覧?
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧?
- PL学園対横浜延長17回?
外部リンク
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style="background:#ccccff"| 業績
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|{{先代次代|日本プロスポーツ大賞?受賞者|1999年|佐々木主浩?|松井秀喜?}}
{{先代次代|パ・リーグ?新人王?|1999年?|小関竜也?(1998年?)|大久保勝信?(2001年?) ※2000年?は該当者無し}}
{{先代次代|沢村賞?|2001年|上原浩治?(1999年) ※2000年は該当者無し|上原浩治(2002年?)}}
{{先代次代|パ・リーグ最多勝投手?|1999年-2001年|西口文也?(1998年) 武田一浩?( 〃 ) 黒木知宏?( 〃 )|J.パウエル?(2002年)}}
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{{先代次代|パ・リーグ最優秀防御率?|2003年-2004年 斉藤和巳(2003年)|金田政彦?(2002年)|杉内俊哉?(2005年)}}
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Daisuke Matsuzaka
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